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食えなんだら食うな

, 関 大徹
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食えなんだら食うな無料ダウンロードkindle - 内容紹介 曹洞宗大教師が語る人生の意味。長らく復刻を望まれていた名著がオリジナルのままに復刊。書店「読書のすすめ」店長・清水克衛氏、実業家で歌人として著作多数の執行草舟氏が推薦。執行草舟氏の愛読書であり座右の書、本人曰く「俺は、この本が死ぬほど好きなんだ!」 著者について 明治36年、福井県に生まれる。大正5年、師の関頑牛に就き得度。大正14年より12年間、福井県小浜市の発心寺、富山市の光厳寺にて禅修業に励む。昭和18年に印可許状を受ける。昭和31年、福井県名刹吉峰寺住職。昭和51年、岩手県報恩寺住職。曹洞宗大教師。 商品の説明をすべて表示する

以下は、食えなんだら食うなに関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
明治生まれの方がお書きになったとはとても思えない現代的な文章で、こういう大まじめな本の感想としてはやや不謹慎な言い方ですが、大変楽しんで読ませていただきました。この本で問題にされるのは日本人の信仰心と死生観、それと道徳観の新旧という問題でしょう。第一番目の信仰心と死生観の問題ですが、先日台湾の李登輝氏(彼自身は日本で教育をうけた日本的知識人です)の書いた本を読んでいたらこんなことが書いてありました。論語に「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らんや」という有名な文章があります。日本人がこれを読むと自覚的な信仰心のあるなしに拘わらず、「未だに生きる意味や自分が生きて為す可きことも分かっていないのだから、軽々に死んでどうなるのかとか死後の世界といったようなことを論じるのは誤りだ」というふうに自然に読むだろうというのです。ところが中国人は信仰がありません(と言い切っていました)。だからこの文章を無制限な生の肯定として読むというのです。するとどうなるか。とにかく生きているうちにできるだけのことをやって楽しむことこそが正しいとなります。求めるものは財産・地位・名誉です。儒教には五常といって、仁・義・礼・智・信の徳目がありますが、「名教」といって、いわば掲げておくだけのスローガンになっているというのです。ではなぜ日本人にはそうならないリミッターがかかるのか?それは繰り返しになりますが、具体的に自覚するかしないかに拘わらず、日本人には信仰心とそれに基づいた死生観があるからだというのです。それを自覚的かつ明確に説いたのが本書だと思います。もちろん、一般の方で生死をそこまで突き詰めて考えているひとはいる訳がありませんが、こういう僧が活躍する土壌がわが国にはあるということなのだと思います。もうひとつは道徳観の新旧という問題があると思いました。「家事嫌いの女など叩き出せ」という章がありましたね。ウーマンリブの闘士が読んだらそれこそ頭から火を噴くのではないかと懸念されましたが、ここで師がいっていることは古いのか?間違っているのか?よく読めば師は女性を蔑視したりしているのでは決してないことは分かります。ただ、男と女の役割は違うはずだといっているのです。わたしたちはこの人口減少時代を迎えて女性が社会に進出してくれないと絶対労働力が足りないため、いろいろと理屈を付けては女性の社会参画を促します。しかし、それのかなりの部分はまやかしではないのか?いま社会進出していると自分では考えている女性のどれだけ多くが最低賃金ギリギリのところで働いていることでしょうか。これが女性の社会進出ですか?師はしっかりした資格や才能を持った女性が活躍することには全く反対していません。社会の甘言にのせられて、やらくてもよいような仕事をして子育てや家庭経営を疎かにしている女性たちにひとこと釘をさしているのだと思います。そういう意味でこの章は議論はあるでしょうが、古くて新しい章というべきなのだと思いました。戦争の項は生々しいですね。こう戦争の実態を活写した宗教家は珍しいです。ただ、わたしはこの章を読みながら、日本の宗教家の社会的地位の低さや社会的発言力のなさが気になりました。日米開戦に先立ってアメリカの主にカソリックのグループが何とか戦争を阻止しようと努力したことはよく知られています。このことから短絡的に、日本の宗教家は世界を見る目がないとか、ひどい場合には戦争協力者だとかいう人までいます。しかしそうではないのだと思います。日本の宗教家にはそれだけ社会に大きな影響を及ぼすだけの発言力がないのだと思います。まともな宗教家が「鬼畜米英!叩き殺してしまえ!」などと叫ぶでしょうか?そんなバカがいる訳がないですよね。しかし日本の宗教家たちは宗派を問わず、戦争に積極的に意見を述べることができなかった。これは何故なのか、宗教界に投げられた重大な問いだと思います。なお、最後に。本書の最後に執行草舟氏が「解題―復刊に寄す」という文書を載せていますが、この文章は全く余計だったと思います。解題というからには本書の成立事情であるとか、復刊に至った経緯、あまり知られていない関大徹師の伝記であるとか、当時のわが国の宗教事情であるとか、いったものを解説するのが解題なのではないでしょうか?これはただの感想文です。執行氏がこの本をどう読んだかは一般読者には関係のない事柄だと思います。蛇足だと思いました。

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